スタッフ紹介

河原 龍秀
総院長 柔道整復師
河原 龍秀
私がこの道を志したのは必然。
柔道家・柔道整復師になるために
生まれてきました。

はじめまして、総院長の河原です。
当ホームページを訪れていただき、誠にありがとうございます。

私は祖父が柔道家で柔道整復師、父が柔道家(幻のモスクワ五輪代表)、母が柔道整復師の家系の長男として生まれました。

幼い頃は、体が弱く、いつも両親に心配をかけている子どもでした。
季節の変わり目には必ずといっていいほど風邪をひき、小児科の通院の常連。しかも小児ぜんそくを患っていたので、吸入器は手放せないほどお世話になっていました。

そんな私も幼稚園の年長に入った頃から実家にあった柔道場(河原道場)で柔道を始め、次第に体が強くなっていきました。中学生の頃には父の厳しい指導のもと初段を取得。高校生では参段にまでなり、自信を深めていったものです。

大学は父の母校ということで当時、日本一であった明治大学へ進学。右をみても左をみても全日本や世界、オリンピック金メダリストなどが顔を揃え、しのぎを削っていました。私などの名古屋の田舎者は最初、全く歯が立たない始末。

しかし、人の環境適応とはおもしろいもので、3年生からは全日本学生柔道優勝大会(団体戦)の選手メンバーに入れるようになり、4年生では寮長としても生活面から後輩の面倒をみるようになり、いつしか主将、副主将と共に部をまとめる存在になっていました。

そんな私でしたが、稽古での無理が祟ったのか卒業時にはケガで満身創痍の体となっていました。そこでこれ以上の柔道生活を断念。しかし、何とかこの経験を活かせないものかと考えた結果、親の勧めもあり、ケガや痛みを手当する側の柔道整復師を志しました。

それまで柔道ばかりしていたので、専門学校時代の勉強は苦労しましたが、運良く周囲の優秀な友人に恵まれていたので、一緒に勉強して国家試験はストレートで合格。そして何よりもクラス全員で合格を手にしたのが嬉しかったなぁ。当時、級長なんかもやっていましたから。

柔道整復師になってからも大変でした。研修時代は朝から晩まで働きづめ。朝は開院準備、施術、昼休みに勉強会、午後の施術、片付け、そして自主的に施術のトレーニング。そんな毎日を過ごしましたが、やりたい仕事をやれている実感と柔道で養われていた精神力のおかげで、人が苦と思うことも苦と思わないようになり、いつしかそれを楽しむことも身につけていきました。

研修期間を終え、いざ開業しようと考えていた頃、母校の米田柔整専門学校に「教鞭をとってみないか」と誘われ、迷いましたが、これも何かの思し召し。「今しかできないこと」と思い受諾。教育者として後進の指導に当たりました。

教員時代は楽しかったなぁ。とても感じのいい、やる気のある学生たちに恵まれ、毎日が忙しくも充実した日々でした。この教員時代の10年間はわが人生の春を謳歌したものです。

しかしながら、そんな春はいつまでも続かないものです。自分の心の中で押さえつけていた熱い気持ちが燃え上がったのです。

「私は柔道家・柔道整復師になるために生まれてきた」

そんな強い衝動に駆られ、接骨院の現場でお客様に施術することが柔道整復師の本分と考え、また柔道家としては柔道教室を興し、子どもたちに柔道指導することを使命に感じた私は平成25年5月に中川区高畑に「高畑駅前接骨院」と「河原道場高畑キッズ柔道教室」を開設、次第にお客様が増え、一接骨院では見きれないほどの人が来られるようになり、柔道教室も地域の方々に支えられ、子どもたちもたくさん集まってくれました。*柔道教室は高畑でみれる人数を超過したため、令和元年4月より安全面の配慮から実家で南区にある創設67年目の「河原道場」へ移転して「高畑」と「本家」を一本化し、同時に父より道場主を引き継ぎました。(祖父から数えて三代目)

そういった経緯を経て、平成29年11月に熱田区三本松の名鉄神宮前駅東口徒歩すぐのところに「神宮前駅東口接骨院」を開院しました。

私は柔道家として、柔道整復師としての仕事に、強い使命感と深い誇りを持っています。施術家歴24年以上の施術力とプロを15000人以上、育ててきた指導力で「高畑駅前接骨院」にご縁を持った皆さまの施術にスタッフ共々あたります。元気に、活力ある毎日を提供したいと思っています。

どうぞ、よろしくお願いいたします。
Q&A
好きなスポーツ 柔道(六段)、ゴルフ
好きな食べ物 カレー、ステーキ、刺身
施療の心がけ 丁寧さ
好きな言葉 自他共栄(自分も他人も共に栄える意)
業歴 24年目
佐々木 拓人
院長 柔道整復師
佐々木 拓人
『私の夢は世界で活躍する治療家になることです』

はじめまして、柔道整復師の佐々木拓人です。
私は小さい頃から誰かの役に立ち、頼られる人になりたいと思っていました。

将来の勤めとして科学者、薬剤師、栄養管理師などなど、なりたいものがたくさんありました。なりたいものが多すぎて迷っていた時に、友人に連れられて行ったオープンキャンパスで柔道整復師という職があることを知りました。

そこで解剖学の面白さや手技で患者さんの機能回復を図る技術の凄さと、患者さんとの関わりが深いところに魅力を感じて、この道に進むことを決めました。

正直、勉強はあまり得意ではなかったですけれど、解剖学や生理学の勉強が自分に合っているのか、覚えやすくてそれに知れば知るほど面白くなり、学校では常に上位の成績を取っていました。その後、卒業試験も国家試験も無事、合格することができて柔道整復師になることができました。

実際に柔道整復師になって働いてみると、まだまだ勉強することがたくさんあり、日々学んでいます。そして、学んだことや経験を活かして患者さんを施療することで、どんどん回復して笑顔になり、痛みから解放される姿を見ることができます。その時に「先生ありがとう」や「また困ったらよろしくね」と患者さんに信頼して頼ってもらえると、やりがいを感じ、「この仕事をしてよかったなぁ」と思えます。

そんな私の夢は柔道整復師のすばらしい知識と技術を使って、日本だけでなく海外で困っている人の助けになりたいことです。

実を言うと私自身がカンボジア生まれのハーフでして、海外には何かと縁があります。海外と比べると日本の医療環境は凄く整っているのですが、カンボジアなどの国はまだまだ医療体制が乏しく、身体のことで困っている人がたくさんいます。それを私が一人でも多く救えたらと思っています。

そういった思いで夢を追いながら勤めていた時、以前の職場の院長の奥さん(総院長の妹)の紹介で河原総院長と出会い、海外で一緒にやろう!と声をかけていただいてお世話になることになりました。

私の持っている知識と施術で、たくさんの人の身体の健康をサポートとし、優しさとユーモアをもって心のケアまでできるように、そして夢を叶えるために日々精進しています。

どうぞよろしくお願いいたします。
Q&A
好きなスポーツ スノボ、バレー
好きな食べ物 麻婆茄子、卵料理
施療の心がけ 身体と心のケア
好きな言葉 勇往邁進
業歴 9年目
古田 匠
副院長 柔道整復師
古田 匠
こんにちは、柔道整復師の古田匠です。

私は岐阜県の美濃市出身です。県内で1番人口の少ない市ですが、山と川に囲まれた自然豊かで住みやすい故郷です。

小学生から社会人になってからもサッカーを続けました。何事に対しても負けず嫌いで継続させることの大切さを学びました。

柔道整復師を志したのは、学生時代によく怪我をしその都度親身になって治療してくださった柔道整復師のトレーナーのようになりたいと思ったのがきっかけです。

米田柔整専門学校に入学し、1年生の頃より総院長と出会いました。下肢の講義や柔道を教えて頂き、柔整師の楽しさや臨床での経験のお話から多くのことを学ばさせていただきました。

以前は八田整形外科クリニックにて約2年間出向しておりました。外傷や交通事故等の患者さんに対し親身になって対応することを心がけてやってまいりました。

今後は接骨院という場で整形での経験を生かし、そして親身になって対応していけるよう頑張ります!
Q&A
好きなスポーツ 全スポーツ
好きな食べ物 ハンバーグ、野菜
施療の心がけ 患者さんの気持ちに寄り添って施療すること
好きな言葉 継続力
業歴 9年目
前野 斗真
柔道整復師
前野 斗真
こんにちは、柔道整復師の前野斗真です。

私は名古屋で生まれ育った生粋の名古屋っ子です。

父親が野球好きなこともあり兄弟全員野球をやっている野球大好き一家の次男坊としてうまれ、高校まで野球をやっていました。

小学生から高校まで野球を続けたのですが恥ずかしながら、高校時代の私はあまりバッティングが良くなかったのでランナーを次の塁に進めるバントの練習に勤しむ毎日を過ごしていました。野球を通してチームで一つのことを成し遂げる素晴らしさと役割の重要性を学びました。

野球部を引退し、高校卒業後の進路をどうするかを考えていたときに当時柔道整復師の養成校に通っていた2つ上の兄から「いつか兄弟で一緒に接骨院をやろう」と言われ、兄弟で接骨院をやっている未来の自分の姿を想像したとき楽しそうな自分を想像できました。それまでにも怪我で接骨院に通っていたこともあり、接骨院の先生に憧れを抱いていたので、自分も柔道整復師になろうと決意しました。

専門学校に入ってからは慣れない医療用語などに悪戦苦闘しながらも学校の先生やクラスの仲間に助けられ日々学びを増やしていきました。専門学校卒業後、無事国家試験に合格し、柔道整復師になることが出来ました。

専門学校3年時の担任の先生が河原総院長の教員時代の教え子で、河原総院長の接骨院を紹介してくださり見学に行かせて頂きました。
その際に施術に対する考え方や実際に患者さんに丁寧な施術をする姿を見て、この仕事に自信と誇りをすごく持っている方で不思議と背中が大きく見えました。ここなら自分をより成長させられると直感的に思い就職を決めました。

安心して施術を受けてもらえるような施術を心がけていきますので、どうぞよろしくお願いします!!
Q&A
好きなスポーツ 野球、格闘技
好きな食べ物 寿司、生姜焼き
施療の心がけ 誠をつくす施術
好きな言葉 生きているだけで丸儲け
業歴 4年目
坂本秀一郎
柔道整復師
坂本 秀一郎
こんにちは、柔道整復師の坂本秀一郎です。

私は、生粋の名古屋人です。

私には柔道整復師を目指すきっかけと、柔道整復師になってからその重要性を感じたポイントがあります。

まず柔道整復師を目指すきっかけになったのは、私が大学4年生の頃でした。
アルバイトとしてデイサービスに勤めていた経験があります。
そこでは高齢者のほかに、障害をもつ子ども達のデイサービスもありそこで見た、
障害を感じさせない子ども達のたくさんの笑顔や元気な姿を見て自分もこの子達の為に何かしてあげたい、もっと専門的な立場で携わっていきたいという強い気持ちが生まれ、運動器の専門家である柔道整復師を目指そうと思いました。

そして柔道整復師の重要性を感じたポイントは我が子の存在です。

私には脳と身体の体幹機能に障害のある息子がいます。
生まれた当初は自分の力で歩いたり、動くことは難しいかもしれないと病院の先生から言われたことは今でも強く覚えています。初めのうちは妻も大変落ち込んでいました。

その時になぜ私が柔道整復師を目指したのかというのをもう一度考えさせられました。
そして、今持っている知識を最大限活かして病院でのリハビリの他に自宅でもしっかり運動療育を行うことで今では、一人で寝返りをうち、ずり這いや支えながらですが一人で座れるようになりました。

しかし、実際に障害の子を持つ親の身として一番感じたことは、手助けしてくれる周りの人にも身体への負担が大きくかかるということです。
だからこそ柔道整復師の重要性を強く痛感しました。
子供への運動療育そして携わる大人への身体的ケアといった両方の面で携わることができるのが柔道整復師だと私は思います。なので私の目指す柔道整復師は、そういった悩みをもつ家族の支えになれるような存在になることです。

そういう思いを描いていた時に河原総院長をご紹介いただき、考えや想いに共感し、当院への就職を決意しました。

今後は今までの経験をいかしつつ患者さんに寄り添った施術を心がけ、日々精進してまいりたいと思います。どうぞ宜しくお願いいたします。
Q&A
好きなスポーツ 野球、ハンドボール
好きな食べ物 コロッケ、餃子
施療の心がけ 患者さんの気持ちに寄り添う施術
好きな言葉 新しい自分を作るには新しい挑戦が必要だ
業歴 11年目
MENU CLOSE アクセス